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  • 言葉と区別

    人は世界にある物や事柄を言葉で区切って認識している。例えば、ある民族と別の民族で言葉が違って虹の色を指す言葉の個数や種類も異なっている。

    人は自民族が話したり書いたりする言葉以外に別の言語を用いることもある。例えば、ラテン語はヨーロッパの共通語である。私はバティカンでは今もラテン語が使われていると読んだことがある。日本でも英語をよく学んでバイリンガルと呼ばれる人がいる。彼らは世界をそれぞれの言語で認識できるので見える世界を複数持っていると言える。

    数学の世界の数式もまた言葉である。数学の言語といっても良い。言葉は一般に論理を表現できるが数式はその最たる物である。デカルト座標では数式と幾何図形を対応づけるがこれは数式という言葉と幾何図形という言葉を対応づけている。

    言葉を話すことで我々は私たちを表したり、自分を認識したり自分と他人や周囲の世界を区別することができる。あるいは言葉があることで我々は自分たちの過去や未来、例えば歴史や将来の予定を考えることができるようになる。

    また、言葉があることで抽象的に物事を表すことができ、言葉による思考が可能となる。これは人々に記録をつけたり学問的なことを考えることを可能にする。哲学も言葉があって初めて可能になる。

    私はプログラミングを多少知っているがプログラムはプログラム言語と言う言語を利用してコンピュータに自分の希望することをしてもらうためのものである。例えば、print(“a”)とすることで画面にaが表示される。これも言葉である。

    さらにITの世界ではUML(Unified Modeling Language)などの記号と図形で業務やシステムの内容を表す言葉がある。システムエンジアはこれらの言葉を用いて抽象的で目に見えない業務やシステムを対象にして仕事をする。

    また、簿記の世界というものもある。これは仕訳や勘定元帳といった言葉が関係するが勘定科目という単語で一定の簿記の文法に従って取引の記録を区分けしていくものである。

    そもそも言葉がなければ人々は目に見える範囲でしか管理できない。すなわち、集団のサイズが限られる。つまり、家族程度なら言葉は不要だが村や郡、その上の道州県や国家になると言葉がなければ理解できない。そしてそれを支える法律も言葉によって表現されるのである。これも法律特有の表現や慣用句が存在している。

    我々の世界では今では言葉で溢れている。言葉があるからこそ我々は自由に物事を対象化して抽象的に思考でき高度な社会生活が送れるのである。

  • Hello world!

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